こちらは「夢のなか人」氏に教えていただきました。
 位置からして、元からこちらにまつられていたとは考えにくく何かの事情で近隣のものを集合させてまつったと思われます。
 近所の方にお聞きしましたが、元々の由来などは不明のようでした。
 「奉經一千部」、「三百万返」、「金光明三經石書」などと刻まれた碑文から3基は経典の供養塔と思われます。
 左手の石仏は傷みが激しいですが、聖観音菩薩でしょうか。「○○七月吉日、願主亮長」とまでは読めますが、施主の名はコンクリートに埋まって判読できません。 


戻る